湖北 天吉寺山(917m)

初冬、湖北の山へ。歴史と自然の恵みをもとめて。

メンバー:たかはし

コースタイム:大吉寺7:12-仁王門跡7:38-稜線8:03-天吉寺山8:33/43-稜線分岐9:07-(池周遊)ー大吉寺10:30

 

【記録】

 目的は、初冬の落葉の山歩きとキノコを探し、そして歴史探訪。時間が窮屈なこの日、浅井の天吉寺山を目指しました。

 朝、7時過ぎに歩きだし、大吉寺の山門前から沢沿いのルートで山に入っていきます。クマが怖いので熊鈴を2つ付け、少しにぎやかに鳴らしながらジグザグの細いコースを登ると、30分弱で大吉寺の寺跡である、仁王門跡に到着。さらに登ると鐘楼跡、本堂跡、閼伽池、頼朝公供養塔、覚道上人入定石窟など遺構が次々と現れてきます。遺構のすぐ上には落葉樹に囲まれて静かに池が周囲の木々を水面に写してました。

 前日の雪がまだ残る斜面を滑りながら登ると、稜線着。ここから北に向いて平坦な山道を進みます。ブナも少し出てきて今の時期はルートははっきりしてますが、夏はしんどいかも。少し急坂を経て最後にすっかり葉を落とした木々の中を緩やかに登ると、918mの山頂着。積雪は10cm程度で、東には冬の曇り空の下に、奥伊吹スキー場のゲレンデやブンゲンから虎子山に続く山並みが見えます。

 往路を戻り、秋の味覚探しにキョロキョロしながら稜線分岐まで戻り、池の周りに下って枯れ木を探すと、ナメコが少々、さらに探索範囲を広げ探すと、ヒラタケも頂き。期待よりはぐっと少なかったけれど、まあいいかと下山にかかる。

一人だけ登ってこられた人に出会っただけの静かないい山行でした。

 麓の大吉寺では地元の人が掃除をされておられ、住職さんからは「熊はいんかったか」と一言いただきました。

【大吉寺の解説】

 県ビジターズビューローのHPによると、この大吉寺の歴史は、平安時代前期、土地の豪族浅井(あざい)家が比叡山(ひえいざん)の安然(あんねん)と協力の上、開いたと伝えられる天台宗の霊場。平安時代後期、平治(へいじ)の乱で敗北した源氏は、東国を目指して落ち延びましたが、その時13歳の頼朝(よりとも)は一行とはぐれ、この寺に難を逃れたといわれています。後に頼朝は鎌倉に幕府を開き、塔宇(とうう)を再建し寺領(じりょう)を寄進しました。
 当時の大吉寺は、天吉寺山(750m)の山頂付近にあり、鎌倉時代隆盛をきわめましたが、戦国時代に六角定頼(さだより)の兵火を受け、さらに織田信長の兵火によって焼失しています。最近の調査により、本堂、門、鐘楼、閼伽池(あかいけ)、石窟(せっくつ)などを有した規模が明らかになり、大吉寺跡が県の史跡に指定されています。
 鎌倉時代後期、一切経を求め唐へ渡った覚道(かくどう)が宿願(しゅくがん)を果たした後、自ら入定したという石窟や頼朝の供養塔も残っています。
 現在は、本堂、庫裏、山門からなる小さな寺ですが、本造聖観音立像をはじめ、仏像四躯、両界曼茶羅、源頼朝公判物、足利将軍御教書など多くの寺宝を所有しています。 

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