八講師城(米原市)

名称:八講師城

所在地:米原市梓河内

標高:486m

比高

築城・廃城

 江戸時代の地誌には、多賀豊後守高忠や京極九郎高数など北近江の守護京極氏や有力家臣の伝承が記されている。ただ、中井均氏は、八講師城はその構造上(土塁、竪堀、石垣など)から15世紀半ばの多賀高忠が築いたとは考えられず、16世紀前~中頃の築城としている。あわせて、山奥という立地、巨大な規模、構造、山麓には居館が存在しないことなどから、この城は「拠点支配の城」ではなく、「山奥からの出撃拠点とともに山奥への進入路の防御拠点」ではないかと解説している。

 構造は、主郭と並立する3つの曲輪を中心部とする。岩盤を削り込んで削平された主郭(Ⅰ郭)、南辺に土塁を構える副郭(Ⅱ郭)、石垣による虎口や櫓台を構えるⅢ郭。そして、主郭から北、北西、東、南東、南西に伸びる尾根筋全てを曲輪とする。切岸と竪堀が発達するものの、堀切をほとんど設けない構造という特徴がある。(中井均氏 2018年3月18日「霊仙山をめぐる山城」の講演から)

〇探訪日:平成30年11月3日

 河内の在所から林道を軽トラで4km登ると、伊吹山方面に展望が開けた場所があり、そこが八講師城への登り口。

 最初の急な斜面を登るとしばらくで平坦になり、ここで左に折れ尾根道を進むと、古い案内板があり少し登ると主郭の中心部に着く。この尾根沿いもいかにも曲輪が連続しているような地形となっているがはっきりとはわからない。

 主郭部分は上記に書いたように三段の曲輪で構成され、山頂部に主郭には中央に巨岩があり、南西側が少し高くなっている。北側に展望が開け、遠く山本山まで遠望できる。また、のろし駅伝のトタンの筒も倒してあった。Ⅱ郭、Ⅲ郭へとはスロープ状の土塁がある。また、Ⅲ郭には多数の石が残され、南側の虎口には石積みがあり、東側には半円状の土塁もある。

 虎口から下の南伸びる尾根上には曲輪や竪堀が確認できる。

 北に伸びる尾根には何段にもなった曲輪が比較的大きな規模で残されている。

 さらに、主郭から北西に細長く伸びる尾根上にも数段の長細い曲輪状の平坦地が確認できます。

 ともかく、非常に大きな規模の山城でじっくりと観察したいところです。

〇縄張り図

〇主郭へのルート(北東からの尾根)

〇主郭辺りの中心部

〇南東に伸びる尾根、そして虎口

〇北に伸びる尾根上の曲輪

〇北東に伸びる尾根上の曲輪群

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