名称:公方屋敷跡 殿山城
所在地:甲賀市和田
標高:平地
比高
築城~廃城
室町時代の末期永禄8年(1565年)、三好義継らの軍勢が13代将軍足利義輝の御所を襲撃して将軍らを殺害した。後の15代将軍となる興福寺一乗院門跡覚慶は三次勢の軟禁状態に置かれたが、近臣細川藤孝らに守られて脱出し、ここ近江国甲賀和田に逃れて滞在した。この公方屋敷は将軍奉公衆でもある和田惟政の支配地で、永禄8年7月から11月あるいは12月まで滞在し、その後、近江国矢島(守山市)、若狭、越前朝倉氏と渡り歩き援助を求めるが断られ、ついに織田信長によって幕府最後の将軍として奉じられて上洛することとなった。
遺跡中央に庭園跡、周囲に屋敷跡が残っている。
探訪日:2018年10月8日
油日駅で予約したレンタサイクルを借りて、和田城周辺の探索へ。
まずは公方屋敷跡。中央部の公方屋敷跡と言われる箇所は整備されているが、その周りの遺構は探訪にはなかなか手ごわい。
屋敷跡南側の公方屋敷城跡ともいわれた所は、猛烈な竹林で遺構がある様な無い様な。
殿山への尾根筋を登り頂上に行くと、見晴らし台が地元の方々によって作られ、甲賀油日の北方面の眺望がきく。
殿山城へ行こうと少し下ると、案内板があったもののその方向へ進むも、あとの標識がなく堀切のような急斜面を登り曲輪のような平地もあったが、杉林の藪ではっきりわからなかった。
〇公方屋敷跡の遺構と公方屋敷城跡と言われた地、今は竹藪
〇殿山の展望地へ
〇殿山城跡 藪藪でよく分からず