甲賀 和田城 (甲賀市和田)

名称:和田城

所在地:甲賀市和田

標高243.5m

築城~廃城

 甲賀郡志によると、応仁年間(1467年~1469年)に和田左京太夫が砦を築いたとされている。源満政を祖とする和田氏の18代が和田惟政で、当初は六角氏その後織田信長に仕え、有力武将として摂津芥川城の城主となり活躍。キリシタン大名としても有名で、ルイスフロイスの「日本史」にもたびたび登場するという。(中井均編「近江の山城ベスト50」)

 三好義継らの軍勢が13代将軍足利義輝の御所を襲撃して将軍らを殺害し、後の15代将軍となる興福寺一乗院門跡覚慶は三次勢の軟禁状態に置かれたが、近臣細川藤孝とともに和田惟政らが守って近江への亡命を助け、一時在住したと言われる。

 惟政は信長と義昭と双方に仕えたが、後に義昭が兵を挙げたとき義昭側に属し、信長に攻められ、元亀2年(1571年)摂津国白井河原で、同じく摂津守護であった池田氏と戦い敗死した。

探訪日:平成30年10月8日

〇甲賀の山城の特徴

 中世において、甲賀地域は近江守護の六角氏から一定自立し、郡中惣(ぐんちゅうそう)と呼ばれる在地領主の連合体が地域支配を行っていた。こうした政治体制を反映して、甲賀の城はみな同じような規模と構造を持っている。大きな城があるのではなく、集落近くの小丘陵に築かれることが多い。

〇和田城を中心とした城郭群

〇和田城の遺構

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