国宝 松江城天守

名称:松江城(天守は国宝)

探訪日:2019年10月7日

所在地:島根県松江市殿町

標高:28.4m(平城)

比高:--

築城・廃城

 1600年の関ケ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、隠岐・出雲24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。同城は中世山城で近世城下町形成には不利であったため、運送などに有利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近く、末次城を城地の候補とした。1607年末次城のあった亀田山に築城開始。1611年正月には松江城は落成していた。

1633年堀尾氏が嗣子なく改易となったため、1634年京極忠高が小浜藩より26万石で入封し、三の丸も造営し松江城の全容完成。この時に幕府直轄領の石見銀山の監督権を与えられるなど最大の領地となった。1637年忠高に嗣子なく没し京極家宗家は一時廃絶(後に他国で再興)。1638年松本藩より松平直政(家康の孫で、14歳の時大坂冬の陣で力戦奮闘し、敵将真田信繁(幸村)からその武功を讃えて軍扇を投げ与えられたといわれる)が出雲18万6千石で入封し、明治維新まで続いた。

1871年廃藩置県により廃城となり、1873年廃城令が公布され天守を除く建造物は払い下げられすべて撤去された。天守も180円で売却の予定だったが、出雲郡の豪商や元藩士により買い戻され保存された。

1935年天守が当時の国宝保存法による国宝に指定されるが、1950年の文化財保護法の施行に伴い重要文化財に指定。2015年国内の城跡で63年ぶりに天守が国宝として指定された。これは、2012年に発見された祈禱札から築城が慶長16年(1611)と確定され、城郭建築最盛期である慶長期を代表する天守とされたことによる。

 松江城天守は全国に現存する12天守の一つで、平面規模では2番目、高さでは3番目といわれる。 

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